昨日あたりからなぜか見切り発車で立ち上がったこの趣味サイト。
記念すべき1記事目を書き終えたばかりなのに、
2日目にして早くも壁につきあたっている。早いな、私。
☟ 記念すべき1記事目
どうすれば軽く書けるようになるのか?
文章づくりって、やっぱり体力がいりますよね。
精神力もごっそり持っていかれる。
いわゆる「キャパ不足」なんでしょうか。
書く前はいつも、エンジンが温まるまでに時間がかかるのです。
そろそろ書くか…?
いや…もう少しだけ時間を置いてから…。
とりあえず参考になりそうなページでも見る…?
11時になったら書き始めようかな……?
誰に向けてか分からない言い訳をウダウダこぼしつつ、机のまわりをうろつく。
ほとんど誰にも読まれないかもしれないのに。
なかなか、滑稽な姿ではある。
そして意を決して机にむかえば、ガバッと一気に書き上げる。
ゾーンに入れば意外と楽しい。
細部の文章調整はまぁ大変ではあるのですが、
あーでもないなぁ、こーでもないなぁ、
なんていいながら文章を組み立てて。
レゴブロックや工作に没頭する感覚です。
そうして、最後の一文を書き上げると、
「あーー終わった……!」
風呂上がりにコーヒー牛乳を飲みほすときの、達成感と虚脱感のミックスです。
がんばった、走り切ったぞ自分。
( いや、体力使い過ぎだろう・・・。 笑)
・・・ということで、これでは先が思いやられるので、
もう少しスマートにモチベを維持する方法について考えてみたいと思います。
そもそもこの不安感の「真相」って何なん?
この“書く前の重さ”――
あれの正体は「終わりが見えないことによる心理負担」だと思う。
育児の ”早く寝てくれ…!” も、
残業の延々と終わらない重苦しさもしかり。
結局は「先が見えない」がしんどさの源なんじゃないでしょうか。
実際、最初の記事は構成をつくらずに書き始めたんですよね。
思いつくままに書く「おしゃべりスタイル」で見切り発車してしまった。
これが本当におしゃべり-つまり対話なら、多少脱線してもすぐ戻れるので楽なんです。
テンポが速く、文脈を脳内で保持できる範囲で話を展開できるから。
でも書く文章だとそうはいかないんですよね。
一文ごとに「読む人」を想定した構成の仕方をしないと、
広げるだけ広げて、本線に戻ってくるのが困難になる。
ノイズだらけの文章になってしまうんですね。
意図して残した “アソビ” は文脈を整えてくれるけれど、
無計画にポコポコと生んだ余談は、ただの雑音となってしまいます。
その結果、書き手は本筋を見失い、
「終わりが見えない苦しさ」に陥ってしまう。
あぁ、なんで前回の時点で気づけなかったんだろう。
プロットに始まり、プロットに帰結する
人間の感情ってゆらゆら波みたいなもの。
人の思考は波のようなもの。
私自身、油断すればすぐ横道へ逸れてしまうし、
放っておくとそのまま流されるタイプです。
だからこそ、枠組み――“プロット”が必要なんですよね。
プロットとは、つまり:
- 主題は何か
- どの順番で届けるか
- どこを膨らませるか
- 最後に何を静かに返すか
この骨組みがあるだけで、
文章は必ず本筋に戻ってくる。
ティラノサウルスの骨にどれだけ肉を盛っても、
トリケラトプスにはならないのと同じように。
骨格がすべてを決める。
全体の設計図となるわけです。
たとえ、愛するカービィの話やら、推しの音楽やら…どれだけ話が脱線しても。
枠組みさえあれば、きちんと戻って来られるという安心感があります。
3点だけを意識する ~プロット立て・虎の巻~
プロットと言っても、そんなに壮大なものではなくて。
最近はこの三つをメモに走り書きするだけで充分だったりします。
1. 最初に“文章の終点”を一言で決める
たとえばこのページの文章でいえば、
- はじめ: “書く前って重くてしんどい…”
- おわり: “プロットが解決してくれるんだな”
のように設定しています。
これだけで、文章全体の “スタート→エンド” がぐっと見えやすくなりますね。
2. 真ん中に “置きたい景色” をざっくり置く
次に修飾するための要素です。
解釈・理由・根拠を並べていきます。
- どうして負荷が生まれるのか?(解釈・理由)
- どんな体験をしたのか?(根拠)
- どういう比喩を用いるとわかりやすいか?(その他修飾)
この“置きたい景色”を決めておくと、
説得力が増し、ぐっと立体的な文章に仕上がります。
3. 最後に “ヒトコト台詞” の締め文をつくる
これは、文章を締めるときの“心の着地点”のようなもの。
小さくていいし、自分らしい言葉でいいんです。
「 自分らしく、こんなかんじでやっていこう。 」
こんな一文を足すことで、書き手の表情を見せることができます。
文章って、
書いていると途中で“話したいネタ”が増えたり、
“こっちの方が面白いかも”という感覚が湧いたりします。
でも、プロットがあると
「寄り道しても、戻る場所だけは決めてある」
という絶対的な安心感が生まれます。
この“戻る場所”が、
文章に静けさとまとまりを与えてくれるんですよね。
プロットは、
文章を縛るためではなく、
文章を自由にするための、小さな羅針盤みたいなものだと思います。
ゆっくり、等身大で書いていきましょ。
というわけで、今後はプロットに沿って進めていこうかな、と思います。
文章も人生もきっと同じ。
“どこに向かうのか?” を描く習慣は、
自分を軽くして手助けしてくれる設計図となるはず。
プロット思考を定着して、
等身大でゆったり表現できる自分へと深化していきたいですね。