#04 伝わる文章は、“削る勇気”で決まる

文章を書いていると、ときどき自分でも笑ってしまう瞬間があります。
「ちょっと格好よく書いてみよう」とか、
「ここにひとつ言い回し入れたら映えるんじゃない?」とか。

書く手がスイッチを入れてしまうと、
なんとも言えない“飾りたい欲”が静かに顔を出してくるんですよね。

でも──
あとで読み返すと、だいたいこう思う。

( うん、くどい。 )

書き手はよくも悪くも“自分側”の視点で文章を積むので、
つい欲が前のめりになって、文章が重たくなっていく。
けれど、読み手が求めているのはそこじゃない。

読み手はただ、
「この文章はどこへ向かっているのか?」
を知りたいだけなんですよね。

だから、文章の「伝わり方」は、書く技術よりも
**“いかに削れるか”が決定的なんだな……**と、最近よく思います。

◆ “足すこと”より、“削ること”のほうがずっと難しい

削る作業って、意外と勇気がいるんですよね。

人間心理には、
「いったん手に入れたものを手放したくない」
という本能があります。
(損失回避バイアス、授かり効果なんて言われますが。)

文章でも同じで、
ちょっとでも思い入れのある一節は、手放すのが本当に難しい。

でも、削らずに残した装飾の多くは、
読み手から見ると “ただのノイズ” でしかないことが多いんですよね。

書き手の「見せたい欲」は、
読み手の「理解したい欲」とは一致しないから。

結局、文章とは
“読み手がどれだけストレスなく読めるか”
という一点に尽きるのだと思います。

◆ 読み手の「認知負荷」を下げるという発想

ここで少しだけ、読み手側の視点に触れてみますね。

読み手は文章を読むとき、
頭の中で絶えず「理解する」という作業を続けています。

この理解コストが高くなると、
人は “文章の価値” ではなく “解読のしんどさ” を感じてしまう。

  • 装飾が多い
  • 寄り道が多い
  • 例え話が渋滞している
  • 主張がぶれたまま続く

こうした文章は、読み手にとって
認知的な負担(理解コスト)が増えていく文章です。

読むだけで疲れてしまう文章は、
どれだけ美しい言葉が並んでいても、
核心が届く前に意識が離れてしまう。

だからこそ、
“削る”という行為には、読み手の認知負荷を下げる役割がある。

削るとは、
読み手のために “文章の道幅を広げる” 作業なんですよね。

◆ では、削ってはいけないものは何か?

なんでも削ればいい、というわけではありません。

削ってはいけないものがある。
それは──

あなた自身の価値観、そしてその価値観にまつわる葛藤や揺れ。

文章を少し読めば、
「この人はこういう世界で生きているんだな」
という魂の輪郭のようなものが透けて見えると思うのですが、
その“核”に関わる部分は、絶対に削るべきではないんです。

むしろ、揺れや葛藤こそが読者を動かす。
「人の温度」は、そこでしか伝わらないから。

技法で飾った部分ではなく、
価値観と感情の揺れ、それ自体が届く部分。
ここは、削るどころか丁寧に残したい場所です。

◆ 削るとは、“整える”こと

私は、削る行為を「整える」と感じています。

文章を書いていると、
頭の中に浮かんだものがすべて“平等に大切”に見えてしまう。

でも実際はそうじゃない。
本当に伝えたい価値観は、そんなに多くない。

削るとは、
散らばった思考の霧を取り除き、
核がまっすぐ届くように“道を整える”作業。

文章の本質は、美辞麗句ではなく、
その人の価値観そのものだから。

◆ 削るための、具体的な技法

いくつか、実践で効くものを挙げてみますね。

1. 「読み手の立場」で読み直す

ここがいちばん効きます。
書き手視点では気づかない“ひっかかり”が、読み手視点だとすぐ見える。

2. 青と黄色の付箋で骨格をつくる

(色はもちろん何でもOKですよ。)

青:主張・根拠・終着点
黄:盛り込みたい抑揚・エピソード

黄色付箋は、文章化の段階で“必要かどうか”を見極めるだけでいい。

3. 一度書く → 休む → もう一度読む

不思議ですが、文章は時間を置くと“雑音”が浮かび上がるんです。

4. 「これを削ったら伝わらなくなるか?」と問う

残るもの=核
消えるもの=ノイズ
この判別だけで文章は驚くほどスッキリします。

◆ 削るとは、“選択”であり、“愛”でもある

文章だけじゃなく、
時間も、心も、物も、人間関係もそう。

削るとは、
本当に大切なものだけを残すための選択。

余白ができると、
そこに新しい価値や美しさが入ってくる。

文章も同じで、
削った先に見えてくるのは、
書き手の“魂の輪郭”なんですよね。

◆ 伝わる文章は、削った量で決まる

けっきょく文章って、
“どれだけ足したか” ではなく
“どれだけ削ったか” がすべてだと思う。

削る勇気とは、
価値観をまっすぐに届ける勇気でもある。

飾ることで見えなくなった核を、
ひとつひとつ丁寧に掘り出していく。

文章とは、
そんな静かな削り出しの作業なのかもしれません。

あなたの世界観が、そのまま届くように。